学校の先生たちの存在意義。映像授業が何故広まらない?

2011年カーンアカデミーを作ったサルマンカーンが語った教育の未来について、まずはこの動画をご覧ください。

動画の中でカーンはこういっています。
「映像授業が導入されることで教室はより人間的になることができる」「教育に必要なのは人間的な時間だ」「今の先生たちの時間の多くは一方的な講義や成績をつける事務的な仕事に取られてしまっている」



まさに、その通りです。
この状況は日本でも変わりません。
ましてや、日本の教育はインタラクティブを求めていくものの、カリキュラム通り進めるにはインタラクティブに行う時間がありません。
そのため、教科書をみんなで読むだけの授業や先生黒板に書いたものを書き写すだけの時間に多くを使われてしまうのです。
結果的には、映像授業から得られるものと何ら変わっていません。
ましてや、先生が話しえ居るものを途中で区切ることを躊躇し、聞き逃してしまったものをそのままにしてしまう時間が多くなってしまいます。

ただし、教員という仕事が現場に必ず必要です。
教室という箱の中にコンピューターと生徒だけを入れて指示をしても、おそらく多くの生徒は学びをやめてしまうでしょう。
だから、先生の中でも「今は居眠りしてしまう生徒をトントンと起こしてやるような昔からある教育がいいんだ」という先生が多くいるのです。
しかし、私はそういった先生のあり方よりも、カーンの話している先生のあり方のほうに納得感があります。
テクノロジーの進化によって、人間的な時間を増やす。
アダプティブな教育がまさにこれです。

日本の教育の在り方について、もう一度考えてみましょう。
声をあげましょう。
変化なしで、現状を打開することはできません。
まずは、身の回りから教育を変えましょう。
行動しましょう。